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クソポエムとかクソポエムじゃないのとか

Twitterアルファアカウントレシピ

(この記事は、某Advent Calendar用に書いたものです)

はじめに

こんにちは。
ノリと勢いだけで某関連の某Advent Calendarに登録したものの、某については特に書くことが思いつかなかったため、代わりにみんな大好きなTwitterについて書こうと思います。
といっても、私は技術周りがどうだとかAPIがこうだとかには特に詳しくないので、 アルファアカウントについてでも書こうかと思います。
禁止事項に引っかからないかドキドキですが、まあやっていきます。



Twitterにいると、しばしば次のようなアカウントを発見することがあります。

  • フォロー数に対して、フォロワー数が異様に多い。
  • 芸能人やアーティストなど、知名度のバックグラウンドがある人ではない。
  • 絵や動画などを含め、特に面白い投稿をしているわけでもない。

ここでは上記のような性質を備えたアカウントを「アルファアカウント」と呼ぶことにします。


Twitterに入門したてで無知だった頃、こうしたアカウントがとても不思議でした。
ネットワーク関係が双方向前提なSNSと違い、フォローとフォロワーが区別されているサービスでは、 ユーザーの大半が、フォロー数に対してフォロワー数が多いと人気者、という潜在的な意識を持つものと思われます (実際は逆、つまり人気者はフォロワー数が多い、しか成り立たないと思うのですが)。
私もそうした意識に呑まれた一人で、アルファアカウント所有者となってネットにおける承認欲求を満たすべく、 早速調査に乗り出したのでした。
結果、得られたアルファアカウント作成の手法・知見について、ここでは述べたいと思います。


方法

(実践したのは数年前なので、今はできなくなっていることがあるかもしれません。 少なくとも、電話番号認証しないと即アカウントロックされる仕様が入るよりは前の話です)

  1. アルファに育てるアカウントを作る
    これがないとはじまりませんね。以降これを本垢と呼ぶことにします。

  2. ダミーアカウントを作る
    ひとつのGmailアドレスで、Twitterにいくつもアカウントを取ることができます。
    例えば、アドレスがalpha@~の場合、a.lpha@でTwitterに登録すると、これはalpha@が登録している アドレス(Twitterアカウント)とは区別されますが、verifyのメールはalpha@に送られてきます。
    ピリオドの場所を変えることで、同じアドレスで複数アカウントを取得できます。
    ダミーは多いほどよいですが、50や100くらいあれば十分だと思います。

  3. ダミーすべてで本垢をフォローする
    とりあえず、フォロー0に対してフォロワー50くらいのアカウントができました。
    いちいちブラウザからダミーに個別にログインするのは大変なので、簡易クライアントでも作っておくといいと思います。

  4. 似たようなことをしているユーザーを探す
    「フォロ爆」で検索して探せば簡単に見つかると思います。
    交渉し、こちらのダミーで相手の本垢をフォロー、見返りに相手のダミーでこちらの本垢にリフォローをもらいます。 本垢同士で相互になることもあります。
    また、こちらのダミーのフォローを求めない「無償」フォロ爆をやってるユーザーもいます。
    これを繰り返すことで、寡少なフォロー数に対し異常に多いフォロワー数を抱えるアカウントを短時間で錬成できます。

  5. パクツイをする
    アルファアカウントを作ろうなどと思う人間の承認欲求は、ダミーのフォロワーだけでは満たされません。
    やはり、まっとうなユーザーもフォロワーに加えたいと思うものです。
    そこで、流行のツイートをパクツイします。
    すると、トレンド欄から検索で飛んできた愚かな(≒ツイート元を確認しない)ユーザーが拡散してくれたり、 それを見た愚かなユーザーがパクツイであることに気づかずにフォローしてくれたりします。
    ダミー交換で相互になったユーザーが(同じ穴の狢なので)拡散してくれることもあります。

  6. 適当なユーザーをフォローする
    相互フォロー支援系のアカウントをフォローしていたり、相互フォロー系ツイートへのリプで よろしくお願いします的なことを言っているアカウントをフォローします。
    このとき、なるべく本当にTwitterをはじめたばかりらしい、頭の弱そうな(良く言えば純粋そうな)アカウントを狙います。
    相手は「こんなにフォロワーの多い(=人気者らしい)アカウントから自発フォローをいただいた!」と 舞い上がり、フォロバしなければリムーブされてしまうかもしれないという心理から、ほぼフォローを返してくれます。
    この間、定期的にパクツイもしていくことで、拡散力も上がり、愚かなユーザーをより効率よく獲得できます。

  7. リムーブする
    数日経ったら、6.でフォローしたユーザーをすべてリムーブします。
    無論、こちらのリムーブに気づかれるとフォローを外されてしまうこともありますが、意外なことに、 そのままフォローし続けてくれるユーザーが大半です。
    満足するまで、6. と7. を繰り返します。

  8. 後処理
    ここまで来たら、後は適当に使っているだけで勝手にフォロワーが増えていきます。
    Twitterは基本的に衆愚の坩堝で、フォロー数とフォロワー数の比率だけ見て 「この人は面白いに違いない」と判断し、フォローし続けるユーザーが本当に多いのです。
    このままでもいいですが、時期を見て少しずつダミーのフォロワーをブロックしていきます。
    何千何万というフォロワーをチェックしにくるユーザーはいないと思いますが、こうすることで 「ダミーでないアカウントだけでこんなにフォローされている」という意識がついて、 承認欲求が満たされます。


実験結果

上記の方法に従ってアルファアカウントを生成したところ、 およそ3ヶ月で、フォロー100未満に対し約7000の非ダミーフォロワーを獲得することに成功しました。
ポイントはなりふり構わないことです。やっていることがあまりにきもちわるいので顔が引きつりますが、そこは仕方ないですね。
意識の変化についてですが、実際に自分の手でアルファアカウントを作成したことで、 そうしたアカウントに対する嫌悪と軽蔑が一層増すことになりました。

尚、作成したアカウントですが、その後重度の鬱期間に入り、旅支度の一環として削除してしまったため、 現在はありません。


おわりに

この記事で主に伝えたかったことは、みんなこれやってアルファツイッタラーになろうな、ということではありません。
むしろ逆で、防犯のために犯罪の手口を明かす状況に似ています。
つまり、こうしたキモいアルファアカウントたちが増長するのは、 その他の大勢の愚かな一般ユーザーたちに、少なからず原因があるということを指摘したいのです。
パクツイbotやデマの拡散が蔓延ったり、それに対処しようと運営が躍起になったり (その結果、絵師やエンジニアの凍結祭りという事態になったり)するのも、 元を糺せば、情報の発信元をよく確認せず、フォロワー数やRT数で信頼度を決めつける 衆愚が、その片棒を担いでいるのです。

愚かさは悪です。ネットには欺瞞や悪意があることを知らなければいけません。 それがどんなアカウントなのか、ちょっと確認すればわかるはずなのです(わからないのなら、半年ROMってろ、という箴言に従うべきです)。
そして、これは自分のためです。
踊らされて恥をかかず、健全なTwitterを楽しめるために、自分のために意識するべきです。
もっとも、こんな記事にたどり着けるような人は、きっと「愚かな」ユーザーではないのでしょうが……。


というわけで、Twitterアルファアカウントレシピでした。
健全なMastodonライフを楽しみましょう。



誤字脱字の指摘などありましたらお願いします。

ちなみにしむどんのことは好きです。

(。・ω・。)

喉が痛い。

めそめそ泣いたり、過去について考えたり、無意味なことをしていた。ベッドにぶっ倒れて完全に動かなくなってから、少なくとも2日は経過している頃だ。

「まだ寝てるの」

声がして、すこしずつ身体の感覚が戻ってくる。腕には、体温がうつって生温くなったシーツの感触が、頬には枕に巻いたタオルのざらつきが、感じられた。

喉が痛い。舌の根の上あたりが、完全に乾燥しきっていた。微妙な尿意と、身体全体が冷えきっているのが自覚された。思い出したようなくしゃみが出る。腹筋に力が入らず、へちょ、みたいな情けない音になった。

「そろそろ起きないと」

後悔するよ、と言って、無理やり身体を動かす。頭が重い。首の筋が悲鳴をあげ、耳の奥が鋭く痛んだ。後悔してるからいまこうなってるんだ、と言おうとして、やめた。左耳が聞こえなくなっていた。思考だけの、暗くて堂々めぐりの場所に、また転落していきそうだった。そう思いながら一方で、もう大丈夫だ、とわかっていた。経験的に。不誠実で自分本位な私は、悲嘆に暮れる己の姿を嘲笑し、彼に言わせれば無意味でバカバカしいこの数日の怠惰と不健康を赦し、淀んだ淵から解放してくれるはずだった。

「水!」

宣言して、ガサツに起き上がらせる。身体じゅうの関節から、古びた木戸の軋むような音がしそうだった。

 

鬱はつらい。でもこの表現が、感じる苦痛を十全に反映しているのかと考えると、決してそうではないと思う。この心情、感覚、状況を表現するのに、つらいとか、死にたいとか、そんなしょぼくてありきたりな言葉しか用意されていないのは、言語の欠陥にすら思える。

思考が同じところをぐるぐる回って、永遠に終わらない。そして別に、その間ずっと、死にたい、とだけ思っているわけではなかった。死に対する消極的な意欲は常に存在しても、それ以外の意思も並行して存在する。それらは大抵、死ぬには不都合な代物なのだ。そうした並行して在るごちゃごちゃしたものたちの強さの割合によって、そのときの「私」としての思考の色が決まる。単純にずっと死にたいという思いだけが支配的なら、別にそこまでつらくもないし、苦労もしない。さっさと死ねばいいだけだ。

思考がこの牢に入り込んでしまうきっかけは何なのだろう。わからない。どんなに躁の絶頂にいるときでも、一瞬の、些細な、ふっと吹きつけてきた生ぬるい微風のようなもので、あっという間にここに来てしまう。引き金となるそれはあまりに変化に富み、あまりに予測不能で、避ける術がない。

たとえば夏の騒音の中で、蝉の声に気づいた瞬間のこともあった。電車とホームの隙間を見たとき、ビー玉の中に泡を発見したとき、過去の記憶を夢見たとき、好きな物語について考えたとき。いかにも沈んだ気分に陥りそうな、明確でわかりやすい陳腐なものから、まったく無関係にしか思えないものまで。

 

きっかけなどどうでもいいことだ、と私は思い直す。何が思考を、循環する濁流に突き落とすのか。そこを巡っている間は、そこまで大した状況ではない。死、あるいは消滅、という選択にむかって明確に転落し、身体が動かなくなって、視界が暗転したり耳が聞こえなくなったり、わけのわからない状態になっていくのはいつも、その思考の環から抜け出すときな気がする。

 

jpはいいところだ。たとえば死にたいときに、死にたい、と言う。jpでは、誰かが気づいて、心配してくれる。本当に深刻であるということを汲んで、私の望むこと、少なくともそれに近い言葉をかけてくれる。それはあまりにもわかりきったことで、そのとき私はそれを完全に見越した上で、死にたいと言っている。そういう自分が、嫌いという言葉ではあまりに不足なくらいにおぞましく感じられて、嫌悪感が私を苛む。

だから言わない。それはとても苦しいことで、他のことは何も考えられなくなる。結局、何も言えなくなるのだ。リアルでもそれは同じことだ。関係を断ち、閉塞的になり、過度な内観にとらわれていく。好きな人と絶交し、親切に暴言で報いる。胃が捩じ切れそうだった。それでも、傷つく自分は醜く、悪寒がした。再帰的に、それは永遠に繰り返す。

 

真面目な人ほど鬱になりやすい、という話をたびたび聞く。それはきっと、不器用という意味なのだろうと思う。人生というものに対して、深刻すぎるのだ。すべてを真摯に受け止め、誠実であろうとするせいかもしれない。自分に。ずぼらでガサツでいい加減で、一貫性を欠いた、不誠実な自分になるのが怖い。きっとその自分を、本当の意味で、私が認められないのだ。私は私を嫌悪し、自分を嫌悪する私を嫌悪する。鬱に沈む私を嫌悪し、そのことを対外的に主張する私を嫌悪し、助けを求めようとする私を殺しに行く。

 

不誠実になろうと努力してきた。つとめて約束を破ろうとしてきた。答案用紙を白紙で提出し、意図して待ち合わせに遅れた。淫蕩で愚かで暴力的で、退嬰的であるために労力を払った。でも、理想には程遠かった。私を嫌悪する誠実すぎる私は相変わらず私の内に棲んでいた。ただ、表に立つ自分が、理想の生み出したわけのわからない幻影に交代しているだけだった。

 

水は冷たく、食道を、体内を、伝っていくのがわかるほどだった。

「今回はずいぶん簡単に起きれたね」

声は、いくらか怪訝そうだった。アドベントカレンダー書かなきゃだから、と言うと、呆れ果てたような溜息が出た。だからお前は鬱なんだよ、と。

jpを離れることは、もはやまったく解決の助けにならないどころか、むしろ逆効果でさえあった。誰かが気づいて、私を心配しているはずだった。リプライも来ているだろう。私はそれを知っている。あらかじめ予想できたことだ。やっていることはきっと、心配してもらうために死にたいと言っているのと全く同じ、あるいはそれよりもタチの悪いことなのだ。誰もいない台所で、目の前には持ち手を向こう側にした包丁が並べて置かれていた。おぞましい自分が耐えがたかった。

私は極めて冷静で、落ち着いていた。自分に死んでほしかった。

 

死ねば解決するのだろうか? 私は友人や家族に恵まれた。それはとても残酷なことに思えた。私が死んだら、彼らは必ず、心から悲しんでくれるはずだった。心の奥底で、私はそれを望み、同時にそのことを見越していた。悲しまれるために死ぬ。それは究極の承認欲求、最高の醜陋に思えた。そのとき、自分はどうなるだろうか? 死んでいるから無関係だと、いまこの瞬間、納得できるだろうか? 完全に自分の望む形で消滅するには、存在の力をまるごと食われて、すべての人の記憶から抜け落ちるしかないように思えた。あるいは、時間がそれを実現するのを待つのもひとつの選択肢かもしれなかった。

アドベントカレンダー、書くんでしょ」

片付けながら、呟く。残念ながら、紅世の徒には出逢えそうにない。不誠実な私は私を押しのけ、前に立った。死ぬのは怖い。重い水の底から、鎖で引き上げられていく。

 

アドベントカレンダーがもう一件あるのを思い出した。年賀状おえかきするんだった。初日の出見に行こうって言ってたんだった。モンハンやろって約束してたんだった。やりたいことがたくさんあるんだった。

 

マストドンに絡む内容」を書く、「クリスマスを楽しみにする」アドベントカレンダーを、こんな意味不明で不合理な、痛い駄文で汚してゆるされるのだろうか? 

もちろんゆるされるよ

私は不誠実で自分本位だからね

 

jpだいすき

おなかすいた